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新選組流山隊 資料箱
 
     
     
    
   
新選組流山隊 資料箱 の ご案内

「新選組流山隊 資料箱」 では、流山の歴史や見どころなど、 新選組と流山に関する情報や地図などを掲載 。
また、提携団体をはじめとする、関連リンク集を掲載。


   
新選組と流山を知る

流山以外の新選組については、関連地へリンクしています。

 新選組 と流山 最新資料
新選組と流山
ガイド
新選組流山隊が編集した簡易ガイドマップ
第13版 配布中 
  2005/6/3
書籍
「新選組 と流山
完全ガイド」
隊長が編集した新選組と流山の完全ガイド 新刊 2004年8月発行
流山の伝承、関連史跡写真集など、流山を知る上で欠かせない1冊。
当時の蔵の写真初公開・本当の本陣はどこかなども検証。
幕末動向図で双方の攻防やその後の動きも紹介。
沖田総司@流山隊によるイラストで綴る「新選組流山隊物語」
流山の新選組は、この1冊に凝縮されている。散策必携・通販可
  2004/8/1
書籍
「新選組流山始末」
山形紘氏による研究書 改訂版 2004年7月発行
流山事件の背景、五兵衛新田屯集の背景を掲載
  2004/8/1
隊務録
新選組流山隊の活動写真集。流山における新選組活動、全国での流山のPRを網羅。流山の最新情報も掲載。
「vol.1=結成弐周年記念保存版2003/10-2005/6」
「第8回ひの新選組まつり特集版2005/5」
「試衛館新選組まつり特集版2005/7」
  2005/8/1

 

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新選組と流山 関連地

流山以外の新選組については、関連地へリンクしています。

 新選組 と流山 関連地
新選組と流山
関連史跡など
流山での新選組関連史跡は、ほとんどの研究本・ガイド誌では、数ヶ所しか紹介されていません。
新選組流山隊では、25ヶ所の関連史跡などを紹介、巡察会を開催しています。
  2005/7/4
流山周辺の
新選組関連地
流山周辺の新選組関連史跡を紹介。
小金宿を掲載しました<2005/7/9>
2005/7/9
「新選組と流山
Postcard」
関連史跡の一部の写真を、Postcardとして発売開始しました。   2005/7/4
その他
今後、関連史跡を紹介、掲載していきますが、しばらくの間は直接、お問い合わせ下さい。→関連史跡案内   2005/7/4

 

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新選組と流山事件の概要

新選組の結成から、流山事件の概要を紹介します。

 新選組 と流山事件の概要
新選組の誕生

 文久3年(1863)、多摩出身の近藤勇らは、京都で治安維持を任務とする会津藩御預「新選組」を結成。翌年6月、「京に火を放ち天皇を拉致する」という長州の謀略を未然に防いだ「池田屋事件」で注目された。

鳥羽伏見戦争
・勝沼戦争

 慶応4年(1868)1月、鳥羽伏見で薩長軍に敗れ、江戸へ帰還。勇は幕府若年寄格となり大久保大和守剛と改名、幕兵で鎮撫隊を組織するが勝沼で敗走。

新選組流山へ

 3月13日から五兵衛新田(足立区西綾瀬)の金子家を屯所とし順次集結、隊士徴募で227名となった新選組は、田中陣屋占拠を計画、幕府に流山転陣を願い出るが、許可を得ないまま、西軍の千住進軍に対し、4月1日流山転陣を敢行した。

流山事件

 流山では、「秋元」で金策をし、醸造家永岡三郎兵衛方を本陣に、光明院や流山寺、他に分宿した。翌3日、情報を得た西軍が来流、発砲騒ぎとなったが、夕方には新選組本陣は包囲された。
 大久保(勇)は、改名が知られていないことを利用し幕府公認の鎮撫隊を主張、壮士2名を従え出頭。深夜に去流し越谷に宿陣した大久保は、翌4日に板橋総督府に連行された。歳三は会津藩士らと江戸へ潜入、勝海舟らと救出工作をするが、相馬主計が越谷経由で板橋に到着したのは5日、すでに大久保は前夜(4日夜)に近藤であると露見し幽閉されていた。
 勇捕縛の知らせで、残留隊士らは6日に流山を脱出、布佐から銚子、潮来、平潟などを経由し会津を目指した。

流山以降・北征

 勇の捕縛、江戸城開城に対し、歳三は旧幕府軍と連携、先鋒軍を率い12日に小金宿陣、宇都宮を目指す。島田らも大鳥軍と共に13日に松戸宿陣、14日は再び流山宿陣、翌日に山崎宿へ向かう。江戸で袂別した永倉と原田も15日、山崎宿へ進軍するが原田は離隊する。
 宇都宮で歳三は負傷、勇が4月25日に処刑、晒し首にされたことを知る。その後、旧幕軍は会津へ集結、隊士たちは再会するが、やがて箱館戦争で歳三は戦死、新選組も降伏する。

現代において

 出頭経緯や本陣所在地論などは諸説あるが、勇の出頭で隊士は脱出、後のドラマに繋がった。「新選組流山隊」では、「勇と歳三の離別の地」としてPR、大河ドラマ放映を契機に、縁の地として脚光を浴びるようになった。
 平成15〜17年、流山に関する新史料が数点発見され、新たな史実の推測や逸話、新史跡も増え、巡察会や講演会で紹介、活動の輪も拡がりつつある。

 


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