小金 |
新選組流山隊では、毎年「新松戸まつり」に参加、PRしている。
新松戸駅の隣駅である北小金駅周辺には、新選組関連史跡がある。 |
小金宿の史跡 |
小金宿は、流山へ向かう小金道と水戸へ向かう水戸街道の分岐点に位置する。
南に本陣跡、東漸寺、玉屋、道標など。北に小金城跡、大勝院、本土寺がある。 |
新選組と小金宿 |
▲流山事件(4月3日)の後、4月11日に江戸城明け渡しとなる。土方歳三は、島田、中島、漢、畠山、沢、松沢の6隊士を連れ、江戸を脱出、鴻の台の旧幕府軍に合流する。
▲徳川慶喜は11日の夜は松戸に宿陣し、12日の昼頃、小金宿を通過する。
▲12日、市川での合議で、旧幕府軍の前軍参謀となった土方歳三と会津の秋月登之助は、先鋒隊を率い、小金宿に宿陣、両名は本陣に宿泊したものと思われる。軍隊は、東漸寺などに分宿したのであろうか。翌13日に、布施をめざして出立した。
▲一方、12日に松戸宿で宿陣した旧幕府軍の中後軍(新選組隊士6名が配属)は、13日昼、大勝院で休憩中、流山に官軍襲来との報を受ける。斥候を送ったところ誤報と判り、進軍再開したが、出立が遅れたために予定していた宿陣先の山崎宿に辿り着けず、途中で宿陣した。(宿陣地は現在の流山市域内、深井村と思われる:別記) |
道標 |
駅の南口を出て一つ目の交差点の左角に、道標が立っている。
「左なが連山みち」(小金道)と「右水戸道中」(水戸街道)と刻まれ、分岐点だった。 |
東漸寺 |
駅前交差点を渡り、そのまま街道沿いに200mほど南に行った右側にある。
軍隊はここで休憩をしたのでしょうか。春にはしだれ桜は見事。
幕末の志士、竹内兄弟の碑もある。 |
本陣跡 |
東漸寺と街道を隔てた反対側に本陣があった。現在、路地を入った左側に、本陣跡の碑が建っています。土方歳三と会津藩秋月登之介が宿泊したと思われる。 |
玉屋 |
東漸寺から街道を真っ直ぐ300mほどの右側に当時の旅籠がそのまま残っている。
案内板と碑が建っているが、内部は見学不可。 |
小金城趾 |
駅の北口から左方向に500mほど、流山電鉄の小金城趾駅との中間にある中世の城跡。大谷口城とも呼ばれ、この城の出城が、流山にもあった。 |
大勝院 |
小金城趾にある寺院。島田魁ら6名が配属された旧幕軍中軍・後軍はここで昼食休憩を取った。 |
本土寺 |
小金駅北口から約1km。新選組との関連は無いだが、あじさい寺として有名な寺院。 |