データベース ながれやま玉手箱  まちと歴史-新選組と流山

江戸末期に活躍した新選組の局長・近藤勇は、流山において官軍に 投降しその後、斬首となりました。
「ながれやま玉手箱」 では、流山ゆかりの新選組の特集を掲載しています。


    
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新選組豆知識
流山ゆかりの新選組に関するコラムを掲載  

隊名論を更新。隊服論の概略を掲載。

 
2003 10月22日

新選組と流山に関するコラムを掲載しています。

みなさんからの情報をご連絡下さい→info@atn.co.jp  

内   容 備   考 掲載日 更新日
NEW 名称は「新選組」か「新撰組」か?  隊名論の検証 2003.6.29 2003.10.14
  近藤・土方はだんだらを着なかった? 隊服論の検証 2003.10.22  

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新選組豆知識
名称は「新選組」か「新撰組」か? - 隊名論

新選組の名称については、「新選組」と「新撰組」の2通りが使われている。

多くの方から、どちらが正しいのかという疑問があり、掲載していたが、

更に多くのご意見もあり、再度、検証作業をした上で、一部修正と補足をして記載した。

実際、我々はどちらでも良かったのだが、統一は出来ないのかという意見から、

流山においては、今後は「新選組」の名称を推奨していくが、その理由は何か。

2つの名称 をめぐる最新情報やその経緯を検証し、今後の名称推奨への過程を記載した。

近藤・土方はダンダラを着なかった - 隊 服論

新選組の隊服については、俗に「 ダンダラ」と言われる浅黄色に白三角の模様のものが知られている。
一説によると「新撰組」の隊服は、わずか1年ほどしか使用されなかった。

しかも局長の近藤勇や土方歳三は、気に召さなかったのか、一度も外で着ることがなかったという説もある。

「隊服をつくったのが芹沢鴨だったから」、「返り血ですぐに汚れて着れなくなった」などと言われている。
近藤や土方は黒を好み、他の隊士もいつしか、隊服ではないが黒を着るようになったということである。

我々は、「新選組流山隊」の隊服をデザインするにあたり、近藤や土方が好んだとされる黒を採用した。
そして「ダンダラ」のイメージを残すために、赤で三角形を模した模様を入れた。

史実については、現在、検証作業を進めており、詳細がまとまり次第、掲載する。

舞台や映画で「魅せる」ためには「ダンダラ隊服」も見栄えは良いが、
初期の新選組と違い、流山での新選組は、現代にも通用する新しいイメージの隊服をつくった。
10代の意見で、今の若者が着てカッコいいと思えるデザインを目ざした。


5302 名称は「新選組」か「新撰組」か? - 隊名論
考察 松下英治 掲載日 2003年6月29日 更新日 2003年10月14日
 

 

新選組の名称については、「新選組」と「新撰組」の2通りが使われている。
どちらも間違いでないが、今後は「新選組」で統一していきたい。

「公用文書は新撰組」も事実とは違っていた。

流山での史実も変わりつつある。

流山においても、今後は「新選組」の名称を推奨していきたい。

  問合せ:あっとタウン情報局 →info@atn.co.jp   不許可複製 

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あっと流山では、 新選組について情報収集、調査中。

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