当時は、音(おん)さえ合っていれば、漢字は当て字でも十分通用した。
文書よりも「音」の方が主であったので、漢字は重要視されていなかったらしい。
例えば、沖田総司は自分の名前を「総二」などと書いている。
「新選組」という字を、土方歳三らも「新撰組」と書いていることがある。
当時の文書でも公式・非公式を問わず混在している。
最新の検証調査によると、先述の子母沢氏と平尾氏の2名の他、
漢一光氏(平尾氏への反論)、前田俊彦氏(公式・非公式での使い分け)の説も含め、
文書からは、どちらが正しいとは判断できない。
新選組から会津藩に出されたものは「新撰組」と「新選組」が混在、
逆に会津藩から新選組に出された文書は「新選組」となっているものが多い。
「会津藩庁記録」収録のものでは「新撰組」が多いが「新選組」も存在している。
もっともこれは、文書を書いた人間の癖なのかもしれない。
ある講演で『永倉は「撰」と書いていた。だから、「撰」が正しい!』と言われていたそうだ。
新選組研究家でない場合、一部の古文書だけを見たりして、他の事情を知らないのだろう。
近藤勇自身は、「新選組」を拝命した際に、京都で門扉に「新選組 隊長 近藤勇」と書いている。
後に京都守護職に宛てた文書では「新選組 惣代局長 近藤勇」と記している。
組織についても、近藤の役職が「局長」、「隊長」、「総長」、「組長」などと幾通りもある。
印鑑や表札など、本来の名称を示すものは「新選組」になっている。
当時の資料でも、癖や好みではなく本来の名前を示さなくてはいけないもの、
当て字では済まないもので検証する、つまり、印鑑や表札。
印鑑は印影がそのまま残っているので、見れば「新選組」と判る。
表札については、大正時代まで現存しており、檜の表札で、間違いなく「新選組」だったと
記録されている。
それぞれの漢字による名称の由来、意味はどちらも通じる。
「新選組」とは「新しく選ばれた者たちによる組織」を意味する。
「選」は当然、選ぶという意味である。
旧字で書くと「新撰組」だと思っている方も多いようだが、
「撰」は、詩文や書物を、「定めて造る」という意味に使われる漢字で、
「てへん」とはそもそも「才」の字で、才能を意味する。
「撰」は、「セン」とは読むが「エラぶ」とは読まず、「選」とは別の漢字である。
ちなみに「選」の「己」が「巳」になっているのが「選」の旧字である。
「新撰組」は、「新しく造った組織」あるいは「新しく定めた組織」ということで通じる。
近藤や土方は、新しく定めた(造った)「新撰組」という言葉を嫌い、
新しく選ばれた「新選組」を名乗ったという説もある。
別の「新撰組」が存在していた。
実は、京都での「新選組」結成よりも以前に、会津藩では全く別の「新撰組」が存在していた。
そのため、京都で誕生した組織でも、会津藩では「新撰組」だと思うのが当然だろう。
また、上記にあるように近藤や土方は「新選組」を名乗りたかったため、
会津藩から賜った「新撰組」を使用しながらも、その意味などから「新選組」を併用したとする説もある。
ホームページやアニメ、また同人誌などでも、両方が存在するが、「新選組」の使用が多い。
真実に基づく情報を主に提供している「新選組百科事典」では隊名論を取り上げ、「新選組」を採用している。
以上から判断し、現状では、どちらも間違いでないが、今後は「新選組」を推奨していきたい。
実際、我々としては「撰」でも「選」でもいいが、『どちらかが正しい』ということでなく、
どちらかに統一できればということで、調査を始めた。
この件に関しては、以前より実に多くの方からご意見をいただいている。
個人的な好みでなく、多くの意見を検証した結果、どちらも間違いではないが、
最近はNHKをはじめ多くの関係機関が「新選組」を表記する以上、我々も歩調を合わせていきたい。
なお、新選組に関する表記には諸説あるが、代表的なものを掲載する。
「新選組」と「新撰組」 / 「局長」と「隊長」、「総長」、「組長」、「惣代局長」
「清河八郎」と「清川八郎」 /「山崎蒸」と「山崎烝」
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