結成参周年に想う
 

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新選組流山隊  2006年7月7日  結成参周年 を迎えました。 
これからもよろしくお願い致します。

新選組流山隊結成参周年
奇しくも流山隊の結成記念日=7月7日は七夕。
江戸川を渡り流山を去った勇と、流山で永遠の離別となった歳三も
七夕の日には天の川を渡って会えるのかもしれない・・・。
我々は、その架け橋となるような活動を継続していこう。
137年の時を経て、勇や歳三の想いを後世に伝えるために、
21世紀の新選組として。

 

更新 2006/7/7



新選組流山隊 結成参周年 あいさつと御礼  

新選組流山隊の結成参周年に対して、隊長としての想いを綴りました。
 

思えばまだ三年。いろいろ活動してきましたが、まだまだこれからです。

 

結成〜実働準備期間の2003年を振り返って。

▲2003年7月、かねてから「新選組を通じて流山を全国発信していきたい」という想いと、「NHK大河ドラマでの放映決定」との知らせに呼応して、「新選組プロジェクト」の結成を宣言しました。

知人数名と相談して、とにかく、時間もお金もない、新選組に詳しい人もいない中で、隊服(半天)を着て歩くことでのPRから始めようということになりました。

そして、大河ドラマの一時的ブームで終わらせない為にも、好きな人を集めて運営したいとの想いで、隊士募集を始めました。

▲新選組には、一番組などの小隊があったことが判り、じゃあ我々は新選組の流山の隊ということにしようと「新選組流山隊」の名称を決めました。関連地に同好会があることすらこの時は知りませんでした。

▲「近藤勇終焉の地」というキャッチコピーは、板橋にあると判り、死んだ場所が2箇所にあるのはおかしいと調べていく内に、流山には女性に人気のある土方歳三も来ていることも判りました。
そして「近藤勇と土方歳三の離別の地」のフレーズが出来上がりました。NHKでの紹介もあり、今では流山の代名詞として認知されつつあります。

▲水色の半天は、「売り出しの人みたいで格好悪い」という意見を聞き、調べていく内に、「新選組の羽織は水色でなく浅葱色」で、「流山での新選組は浅葱羽織を着ていない」ことが判りました。PRして着るのにはまず「自分たちが着た時にカッコ良いと思えるデザイン」というコンセプトで、当時の女子中学生の『黒装束に袖章の赤ラインを採り入れた』という「新選組流山隊隊服」のデザインが出来上がり、イメージカラーを黒と赤にしました。

▲最初は、名称についても「流山では昔から『撰』の字の『新撰組』と決まっているとか、『浅葱の羽織にすべきだ』とか、様々な事を言われましたが、我々は21世紀の新選組として、新たな発信をしていこうと決めました。そのために、カッコだけでなく中味も、「流山での新選組に関しては日本一になる」という堅い意志のもとで、研究を始めました。

こんな感じで、結成したての頃は、新選組に関しては全くの素人でした。

 

どこへでも出陣してPR〜1年目・2004年を振り返って

▲いよいよ大河ドラマ「新選組!」の放映開始。全国に向けてのPRを開始。様々なイベントに隊服を着ていくと、ものすごく目立つ。「第1回全国サミットin日野」で全国の関係者にもお披露目、以後、メディア戦略も成功し、徐々に効果が上がっていきました。当初、そこまで考えていませんでしたが、浅葱や水色が多い中で、黒赤は目立つ。「どこへ行っても流山が来ているとスグに判るし、かっこいい」とは土方家ご子孫のお話ですが、歳三は赤が好きだったらしいので納得。
▲全国に様々な関係者がいると知った後は、ご子孫、有志の会、研究家の方々、そしてファンの方々との交流を拡げることを考えていきました。隊服では協調性が無いように思われるかもしれませんが、新選組に対する想いは、結成当初から比べると、活動を進める間に理解できるようになり、勇や歳三の気持ちが解るようになってきたというと、言い過ぎでしょうか?

▲当初、私自身否定的だったパレード行軍や隊士装束も、隊士たちの意見をキッカケに踏み切りました。今では「ファンサービスなんだから隊士の格好をしなさい」という大出氏のアドバイスもあり、出来る限り、隊士装束での参加をしています。
▲全国新選組サミットには、毎回参加、何とか流山でも開催したいという想いを、日野同好会の峯岸局長はじめ全国の皆様に取り上げて頂き、おかげさまで「第5回全国新選組サミットin流山」が開催できました。また、幕末刀義会さんのお力添えで、「新選組流山隊行列」では、サミット初の殺陣を交えた隊士装束パレードも開催できました。「誠」に感謝しております。
▲大河ドラマ「新選組!」での第48話「流山」も、素晴らしい場面でした。2004年は「大河ドラマの年」として、各関連地とも観光客増加の狙いがあったのでしょうが、流山では、放映が遅かったことと過去のPRや注目度が低かったことで、思ったほどではなかったとの弁が行政や商工人からはありました。

 

大河ドラマは終わっても我々の活動は終わらない〜2年目・2005年を振り返って

▲本当の活動はこれから。大河ドラマによるイベント優先活動だった2004年に対し、流山隊月例会の開催を開始。実行委員会解散で、資金は無くても本当に自由な活動も可能になり、隊の組織基盤を見直し、隊士の希望により、隊士名制度も導入しました。
▲流山事件の研究を進める上で、江戸府内をはじめとする史跡巡察や、史料原文の読解などにも力を入れ始めました。また、勝ち鬨を挙げるための抜刀・納刀の仕方も練習しました。
▲隊士が殺陣に参加したいとのこともあり、撃剣指南役を定めての剣術指南会も開始しました。

▲大河ドラマ放映が前年の秋だったことで、春頃までは一般の方からの問い合わせも多かった年でした。その後は、興味のある方の問い合わせが増え始め、秋頃からは、新選組流山隊屯所である私の事務所への来客が増えてきました。此処でしか聞けない・見られないというものは、本当に好きな方にとっては重要なことなのでしょう。出来る限り、未公開史料なども交えて応対するよう心がけました。
▲また、行事の際に、写真やVTRを撮影して頂いた「新選組流山隊親衛隊」の方々には、いくら感謝しても少ないくらいです。パレード中の写真などは自分たちでは撮れないので、本当に助かっています。写真や映像は編集して、当日参加できなかったファンの方々にも雰囲気を味わって頂いたり、新選組流山隊のPRに活用させて頂いています。そしてご提供頂いた方々にも、写真集として進呈させて頂いています。

 

新たなステージを求めて〜3年目

▲行事の少ない冬季に、史跡めぐりや剣術指南会を集中。3月には初めて、市谷柳町試衛館と共同で、自分たちだけで制作した殺陣披露を行いました。帯刀する以上は、日本刀や天然理心流への理解を深めるための学習も開始、5ヶ月で7箇所12回の殺陣披露の機会を得られ、実施してきたことで、各隊士とも自信に繋がったことと思います。進学や就職など環境の変化もあり、参加困難になった隊士もいますが、新入隊士も含め、それぞれが活躍する機会が増えています。
▲今春以降、隊士たちの意見での活動が多くなり、組織としては、良い方向に進んでいます。「流山を全国に発信する」という当初の目的はほぼ達成でき、現在は、継続というキーワードのもと、「隊士もファンも、みんなで楽しく参加しながら、研究をはじめとする学習にもこだわりを持って、メディアをはじめ発信し、新選組ファンを拡げていく会」を目指しています。

 

結成3周年を経て、今後、レベルアップをしながら、5年、10年と発展していくことを目指します。

「勤勉・努力・活動・発展」は、今の我々にもあてはまる言葉です。

これからも末永く、新選組流山隊を見守っていただき、願わくば、一緒に楽しく参加して頂ければと思います。

 

平成18年夏

 

新選組流山隊 隊長 大久保大和こと松下英治

→新選組流山隊 3年間の歴史

 

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